「仏教の教え」と「仏陀が悟りに至った瞑想法」を簡単に紹介

という事で、今回は

仏教の教えを簡単に紹介したいと思いますが、それに付随する形で、ゴータマさんが仏陀に至る経緯から、本当に学んできた事も抑えつつ、またその際に「実際にやったとされる瞑想法」の簡単な紹介をしていきたいと思います

 

仏教、

釈迦族の王子であるゴータマシッダールタが、瞑想の末に悟れる人=仏陀となり、その高い悟りの言葉=教えを紙に書いて残してくれれば良かったのですが、何故か仏陀自身は直接的にその教えを書き記す様な事も無く、また、書いてまとめる様に!と言った指示も無かったので、弟子たちが後々集めたものになります

 

この

仏陀の教え=仏教の教えとは!?

今日でも、その高く悟った教えである初期仏教に強く忠実であるものは、「上座部仏教」とか「テーラワーダ仏教」「長老の教え」と言われています

これらの仏教では、大阿羅漢の一人で仏陀3番目の弟子であるマハーカッサパという人が、他の側近の弟子たち(大阿羅漢である)ウパーリやアーナンダたちとともに、仏陀の純粋な教えはこういうものである。と、それらをまとめ上げたものになります

こう言った背景から経典が作られ、またそれを元にテーラワーダ仏教が始まったということです

なので、このテーラワーダ仏教は「正統派の仏教」であるとも言えると思います

 

と言う事で

では次に

正統派仏教!?「テーラワーダ仏教とは!?」

代表的な教えとして

・四聖諦(ししょうたい)

・因縁の教え

・八聖道(はっしょうどう)

 

次に

悟りを開いて解脱するための瞑想

 ヴィパッサナー瞑想がメインとなります

(パーリ経典に記された、仏陀さんの教えから外れないように生きることを大切に生きるという姿勢であるというものであり、立ち位置的には 大乗、小乗の元になる根本的な教えである。と、されています) 

 

仏陀が悟りに至った経緯、過程から解ること

仏陀は釈迦族の王子として何不自由なく育ったとされていますが、ある時、自分の治める国の4つの門前に、病に苦しむ人や貧しい人の姿を見てしまいます

それは、これまでに自分の置かれてきた優雅な境遇と、末端の民衆における生活のギャップに苦しみ、真実への道へと歩む転機であったとされ、この後、求道者として真実を探す旅に出ます

 

妻や子を捨て、また、国を捨て、一人の求道者として旅だった仏陀は、多くのリシ(聖者)達に会う事で、色々な知識や悟りを吸収していきます

 

禅定に出会い、

禅定から無所有処(むしょうしょ)の境地(空の概念)

 

無所有処(むしょうしょ)とは、無色界の(下から数えて)第3天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地

空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって無辺であるを厭(いと)い、所縁共に所有なしと観じ、この行力に依って生まるる処であるから、無所有処地という。何も存在しないと観察し達観する事

 引用元 ーwikipediaー

 

アーラーラ・カーラーマ仙人の元では

 

・非想非非想処という境地に辿り着く

 

「非想非非想天(ひそうひひそうてん)」と「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」は、どちらも仏教用語で「有頂天(うちょうてん)」のことを意味します

この「有頂天」は仏教の世界観の一つで、「天上界における最高の天」を意味するサンスクリット語が語源です

そして現在は、「天の最上にある天に登りつめる」「絶頂を極める」の意味に転じ、「舞い上がること、上の空になること」として使われています

 引用元 ーファンタジーなかんじー

 

しかし!

辿り着いたけれど、煩悩が瞑想後にも続くことから

これは 私の求める悟りではない!」として、禅定を諦めます

 

そして、今度は苦行(おそらくヨガの密教の部類の方だと思われる)

 苦行 タパス を6年間

なんと苦行を6年間もやります

これは意志の力を強めたり、超能力の分野が開花したりするということなのですが、仏陀さんが求めるのは悟りなので、最終的に

苦行の果てに「苦行には何の悟りもない」

と、ズタボロに痩せこけ倒れます

 

そんな時、ナイランジャナー川で沐浴し、ニグローダの樹の下で坐していたら、その樹を信仰しているスジャータさんがやって来ます

そして彼女が仏陀さんを見た瞬間に「樹の神様だ!」と思います

そこで、いつも樹に捧げ物をしていたので、仏陀さんに乳粥を差し出し、仏陀さんはそれを食べて元気になります

そうして、元氣を回復した仏陀さんは、その菩提樹の下で、

「血が枯れ果て、肉がただれ、骨が腐っても、悟りを開くまではこの場所を絶対立たない!」

と、固く決意して瞑想に入ります

 

その瞑想中にはなんと悪魔が訪れ、仏陀を誘惑し、瞑想を中断しようとします

ですが、最終的に悪魔との戦いに打ち勝ち、そこで「悟りを開いた」とされています

そして、ついには瞑想の果てに涅槃へとたどり着きました

 

という事で

つまりここでしっかり氣づきておきたい事は

「仏陀は瞑想をする事で仏陀になった」

という事ですね

 

そして、

この瞑想は別名 

滅尽定とも呼ばれてるもので、

・「感覚、意識のはたらきをすっかり止めてしまう」

 

・身体の素粒子レベルから一切の活動が停止してしまう禅定(ぜんじょう)

とされています

もはや超変態様としか言いようが無いのですが(笑)、

 

これは

生きながらにして、死んでしまっている」(北斗の拳か!?笑)

まさに、「空の概念そのもの」になっている感じです

 

ここで!

(梵人マン的に思うのは、この時ゴータマさんは、「意識体になった」のでは!?と思います。その理由は、手を見て、そして拡大して拡大してと言った先に、全てが振動である。と言った真理を悟るのですが、これなんかは、物質次元の人のレベルでは、絶対に感じられないし、理解にすら遠く及びません。

なので、一旦死んで戻って来たか!?一旦意識体となって、全てを知って帰って来たと考えられます。

おそらくですが、この瞑想法の先にはこう言ったところまで達する事のできるものまで用意されているのかな!?と考えます。

やはり、全ての人に開かれない箇所があるから、密教がある。そう考えると納得もいくのでは!?と思います)

 

仏陀とは何か!? 

・悟れる人、目覚めた人、悟りに目覚めた人 

の意味になります 

これは名称、であり、過去に仏陀となられた人はゴータマさんだけではない。という事もヴィパッサナー瞑想に行った際に聞きました

「仏陀になれる種は誰もが持っている」 それを「仏性」と言います

 

(※ここで一応、このページのライター梵人マンはヴィパッサナー瞑想に2回行っています)

  行ってる人からすれば全然ビギナーなのですが、まあ

  一度目はルンビニーってゴータマさんの生まれたところで行って、

  そん時の瞑想案内のカセットが、英語で、しかもカスッカスで全然聞き取れなかったので、

  登録用紙だけ書いて、やっぱ帰るって帰ったんですけど(笑)

 

  その数年後に京都の北のほうにある瞑想センターに行きました。

  そちらでは良い経験、良い勉強をさせてもらいました

なのでまあ、経験して、学習させてもらいましたところからのお話も入っています

 

仏陀の態度

・仏陀さんは自分の教えに対して宗教という言葉を使わなかったし、宗教をしてはいけないという考えを持っていました

・これは、宗教を信仰するということは他人、つまり宗教の権威者に己をコントロールされてしまうという事を見抜かれていたからです

なので教えを受ける人にとっても、『自分(仏陀)の教えこそが全てである』としてしまわない様に、これを宗教とは言わず、あくまで「この教え」と一生涯言っていたとのことです

 

こう言った事の背景としては

仏陀の生まれた国である釈迦族の国を取り巻く環境においても、古代インドのバラモン教をはじめ、いくつかの宗教による対立から、戦争を繰り返していました

こう言った背景から宗教として確立される事の弊害、危険性を理解しており、その結果として、個人は無宗教であるべきとし、個人個人が高い意識を持っているのが理想である。としていました

 

そして

仏陀さんはこうも仰られています

仏陀の教え

「生きているという事は、

 いろいろな物を欲しがったり、

 様々なものを集めたりするが、

    

 そうしたものは 何一つ 一切 頼りにならない 」

  

「自分を頼りなさい 頼れるものは自分だけですよ」

 と、いつも言っていた ということです

しかし、こう言った「教え」は、普通の生活を送る人々には少々ハードルが高すぎるという事もありました

それも仏陀さんは同時に理解していたので

悟りを開いた時に

「教える旅に出ることをしない!」 

とまで、最初に考えていたそうです

 

で、その際は梵天が現れて、仏陀にその教えを広める道を勧めた 

という経緯があって布教開始に至った。ということになってます

 

そして、仏陀さんはこうもおっしゃられています

「 自分自身が泥沼に引きづりこまれていたら、

  どうして同じ状態の人間を救うことができようか!? 」

心はいつも不安だからこそ、瞑想と教えを元に何にも頼らない心を作り、

これを完成させることを「 解脱 」と言い、

それを目指すのがこの教えの目的である

という事で、

仏陀が悟りに至った瞑想法、これの実践が本当の仏教であり、またそれに役立つ周辺の教えと、瞑想方法をテーラワーダ仏教では脈々と伝えています

 

でですね!?(笑)次に!

(※ヴィパッサナー瞑想に実際に行ってみた私の体験談習った教えとしましてはですね〜、、。)

ヴィパッサナー瞑想に実際に行って教わった事など

瞑想を実践するという事は、人によるかもですが、「受けられる恩恵は計り知れないものがある!」と自分は思っています

まあ、一度経験してみるのは本当にオススメできます

私なんかはチンパンジーレベル以下なので、ウィ◯パーが水を吸い込むが如く、囁かれる教えの一つ一つが為になるなあ!と、感心させられるものでした

 

という事でね、そこで受けたヴィパッサナーの教えはとても為になるものが多いので、いくつか上げてみたいと思います

 

・人間とは五感から様々な情報を持ってくるのだけど、心があるべきは善の状態であるので、常なる観察「サティ(氣づき)」により、要らない不善心を産む様な情報をシャットアウトすべきである。としています

 

なので、

「 心を観るのではなく、心の働きを観ること 」が大切であるとして、瞑想により氣づきを得ていきます

 

仏陀曰く

「ただ何もせずにいるのだから皆は死んでいるに過ぎない

 サティ(氣づき)がある人間は、不死である

と言っています

 

全てを合理的かつ客観的に観ることで、私たちの心は綺麗になります

そうなると、自分以外の生命にも優しい心が作れる様になり、自分の病氣や痛みだけでなく、他人のそれまでが自分のことの様に感じられる様になり、その心で、自他ともに治していける様になるので、それを目指します

ここでの優しい心とは「思いやりの心のこと」で、

 誰でも持てるものとしています

 最近では、仏性とはこれを指している感じで使っていたりもします

 

だいたい根本はこんな感じになります

 

あともう少しだけ紹介すると

・現代の生活リズムは人の健康が失われた時、自然治癒力で回復する余裕を時間的にも氣力的にも持たせてはくれないものなのですが、それに対して、人間の本体のリズムはゆっくりとしたものなので、「自然体で生きること」を勧めています

 

・私とは、肉体をいつか離れるもの、次の世界に持っていけるのは自分の中のもののみである。と、説かれています

「自分の中のもの」というのは「心」だったり、「経験から学んだもの」「精神に培われたもの」などという事です

 

そういう事なので

・徳を積むことや心のエネルギーを良くすること を勧めていたり、

 ・心のエネルギー(波動)は人に影響を与えている と、あったりします

 

また一方で、

利他という言葉は実は仏教用語ではないとか、規範、倫理、道徳にある様な善悪の概念や2元性の概念はヴィパッサナーには無いとし、ただ、そういう「心の働きを観ること」「ありのままの自分を観ること」を基本にしていたりしますね。

 

まあ、悟りのレベルが高過ぎて、一方では矛盾の様に感じたりしますが、頑張ってついて行きたいところになります

 

他にもおまけして!

・2500年も昔に、仏陀さんはすでに「この世の全ては振動からできている」ということを見抜かれていて

「色即是空、空即是色」と空の概念を説かれています

 

また

動物を食さないことを勧めてたりっていうのもあります

(これは、動物には感情があるので、死ぬことを悟ると、ネガティブな感情になり、その感情のエネルギーはその肉体に伝播するので その様なエネルギーを取り入れない方が良いですよ。波動値下がりますよ。)

と、こう言ったことを説かれてたり

 

・悪いエネルギーの人の近くにいると、嫌な気持ちになったり、その場を離れたくなったりするもの

と、他にもたくさん為になる教えがあります

 

ですが、ここからは別に

「心について」が詳しく説かれていますので

仏教における心について 

触れていきたいと思います

 

  心には 「 心のエネルギーの力強さ 」

      「 心のエネルギーの大きさ 」があります

 

また心には

どの様なものが発生源であるのかを見抜き、それらを理解する事にも努めます

これらを理解する為に

心の発生源を良いもの、そうで無いものと、大きく3つに分け、

それぞれ

・善心所25種  

  善心所は浄心所とも言われ、善い心の波動を起こすもの

 

・不善心所14種 

  不善心所は、善くない心の波動を起こすもの

 

・共一切心所(くいっさいしんじょ)13種 

  共一切心所とは善でも悪でもない心

この3つがあるとして

これらの組み合わせにより、様々な波動を構成するのが、心 人間である

という事を仰っています

 

そして

さらに

悪いエネルギーより、清らかなエネルギーの方が強いものである、心は変化する

ということを仰っており、性善の人に成る事を促しています

 

※ここでちょっと今まで話して来ていたミャンマー系のテーラワーダ仏教の心所について紹介したかったのですが、手元にないので、スリランカの南伝系仏教に残っていたものを紹介致します

 

南伝の上座部仏教(スリランカ仏教大寺派)では、

『アビダンマッタ・サンガハ』に則り、心所を以下の全52種としています

心所(しんじょ、 チェータシカ)(52

同他心所(どうたしんじょ、アンニャサマーナ・チェータシカ)(13

共一切心心所(くいっさいしんしんじょ、サッバチッタサーダーラナ・チェータシカ)(7

 

・触(そく、パッサ)

・受(じゅ、ヴェーダナー)

・想(そう、サンニャー)

・思(し、 チェータナー)意思

一境性(いっきょうしょう、エーカッガター)集中力

・命根(みょうこん、ジーヴィティンドリヤ)

・作意(さい、マナシカーラ)注意力

・雑心所(ぞうしんじょ、パキンナカ・チェータシカ)(6

・尋(じん、ヴィタッカ)

・伺(し、ヴィチャーラ)

・勝解(しょうげ、アディモッカ)

・精進(しょうじん、ヴィリヤ)努力

・喜(き、 ピーティ)喜び

・意欲(いよく、チャンダ)

 

不善心所(ふぜんしんじょ、アクサラ・チェータシカ)(14

【痴系】

・痴(ち、モーハ)無知

・無慚(むざん、アヒリカ)罪を恥じないこと

・無愧(むき、アノッタッパ)罪を恐れないこと

・掉挙(じょうこ、ウッダッチャ)

 

【欲系】

・貪(とん、ローバ)むさぼり

・見(けん、ディッティ)邪見

・慢(まん、マーナ)

 

【怒系】

・瞋(しん、ドーサ)怒り

・嫉 (しつ、イッサー)ねたみ、嫉妬

・慳(けん、マッチャリヤ)物惜しみ

・悪作(おさ/あくさ、クックッチャ)後悔

 

【その他】

・昏沈(こんじん / こんぢん、ティーナ)落ち込み

・睡眠(すいめん、ミッダ)眠気

・疑(ぎ、ヴィチキッチャー)疑い

 

・浄心所(じょうしんじょ、ソーバナ・チェータシカ)(25

【共浄心所】

・信(しん、サッダー)仏法僧など、善なる対象に対して心を澄ませること

・念(ねん、サティ)気づき、自覚

・慚(ざん、ヒリ)罪を恥じること

・愧(き、オッタッパ)罪を恐れること

・無貪(むとん、アローバ)

・無瞋(むしん、アドーサ)慈しみ

・中捨(ちゅうしゃ、タトラマッジャッタター)心の平静さ

・身軽安(しんきょうあん、 カーヤッパッサッディ)

・心軽安(しんきょうあん、チッタッパッサッディ)

身軽快性(しんきょうかいしょう、 カーヤラフター)体の身軽さ

・心軽快性(しんきょうかいしょう、チッタラフター)心の身軽さ

・身柔軟性(しんにゅうなんしょう、  カーヤムドゥター)体の柔軟さ

・心柔軟性(しんにゅうなんしょう、 チッタムドゥター)心の柔軟さ

・身適合性(しんちゃくごうしょう、 カーヤカンマンニャター)

・心適合性(しんちゃくごうしょう、チッタカンマンニャター)

・身練達性(しんれんだつしょう、カーヤパーグンニャター)

・心練達性(しんれんだつしょう、チッタパーグンニャター)

・身端直性(しんたんじきしょう、カーユジュカター)

・心端直性(しんたんじきしょう、チットゥジュカター)

 

【離心所】

・正語(しょうご、サンマーヴァーチャー)嘘をつくことなど悪しき言葉の行為から離れること

・正業(しょうごう、サンマーカンマンタ)

・正命(しょうみょう、サンマーアージーヴァ)

 

【無量心所】

・悲(ひ、カルナー)他人の苦しみを取り除いてあげたいという心

・喜(き、ムディター)他人の幸福を喜ぶ心

 

【智慧の心所】

・慧根(えこん、paññindriya, パンニンドゥリヤ)真理に対する智慧

とまあ たくさんありますね

 

次に、

簡単に代表的なものについて触れてみたいと思います

不善心所の「貧」lobhaというものは、「なんでも自分のものにするエネルギー」のことで、自分のいいなりにしたりする=エゴの波動のことになります

この波動を持つ人がいると、相手は逃れようとしたり嫌氣がさします。自分の利益しか考えなかったり、ケチだったりします。本人は氣付くこともなく、反省もないので、孤独になったりします

 

次に

・「瞋 dosa」について、これは怒りのエネルギーで、相手にぶつかって相手を壊すエネルギーになり、自分を通すエゴでもあります。相手が自分より強いエネルギーだと止まります。

という事で

こんな感じなので

私なんかは

「私の中にたくさんあるじゃないか!?」(笑)と、

何を学んでも「ハッ!」とさせられました

とても勉強になります!ありがとうございます!と言った感じです(笑)

 

そしてですね

こういった、私みたいな者のことを

「無明」という状態、物事の状態をよく見ることができない状態と呼びます(笑)

 

では、戻って

不善心所の14種のエネルギーについて

氣づきによって消えていく

という事で、全部消したら完全なる悟りとなるとされ、それを目的としてます

対して

善心所は metta 慈 

・共存のエネルギーとなり、他人の精神的エネルギーに同調し、一緒になろうとする働きを持ちます

 

・どこまでも自分の心を広げられるもの

 

・嫌がられないもので、歓迎されるもの

こういったものを心所に持ちたいもんです

 

次に

これら

心所の状態に氣付く為のパンニャ(智慧)というエネルギー

があります

 

これを広めたら「豁然と見えてくる」「素早く理解し」「把握できる」ので、パンニャを成長させることも目的として、瞑想するのが良いとされています

 

で、ヴィパッサナー瞑想は別名サティ瞑想法とも言われていて、「主に 氣付くこと」に焦点を当てているものになります

     

完成形は「全ての事に氣付く様に成長する」という事になります

 

とまあ大体

これまで話した感じの内容がメインになりますが、瞑想をサポートする教えとして、また人生において最高に効果のある教えとして、次に四聖諦と八聖道についてもちょっとだけ触れておきますね

 

四聖諦とは!?

因果の道理になります

 

「苦諦(くたい)」

四苦八苦などの言葉に代表される様に「人生は苦である」という真理 

 

「集諦(じゅうたい)」

欲、怒り、恨み妬み等に代表される108の煩悩を説いており  苦しみの原因を明かされた真理

  

「滅諦(めったい)」

無常の世を超えて、執着を捨て、 煩悩が滅した世界 涅槃に到達することを 真の幸福として説いている真理 

  

「道諦(どうたい)」

悟りに導くのは八聖道による実践するという真理 真の幸福になる道を明かされた真理

 この四つを四聖諦としています。

次に

 

八聖道とは!?

 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定であるとしていて、(しょうけん、しょうしゆい、しょうご、しょうごう、しょうみょう、しょうしょうじん、しょうねん、しょうじょう)

 

簡単に説明すると

・正見とは

仏教実践によって、仏の知恵や真理を正しく知ること 

 

・正思とは

正しく考え判断することである。 

 

・正語とは

妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。

 

・正業とは

殺生を離れ、盗みを離れ、性的行為(特に社会道徳に反する性的関係)を離れることをいう。

正思惟されたものの実践である

 

・正命とは

殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである

 

・正精進とは

四正勤(ししょうごん)を実践すること

 

四正勤とは

・「すでに起こった不善を断ずる」

・「未来に起こる不善を生こらないようにする」

・「過去に生じた善の増長」

・「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである

 

 

・正念とは 

四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である

 

・正定とは 

正しい集中力(サマーディ)を完成することである

 

この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである

と言った感じで、どの項目一つとっても深いし、実践の難しさを感じます

「涅槃遠し!」 って感じです。(笑)

  

では、最後に

仏陀の解く愛の真理の道

についてお話ししたいと思います

 

基本概念としては

自分が元気で幸せに暮らしたいのであれば

自分を取り巻く全てのもの、動植物や自然が全て幸福でなければならない

という考えになります

 

また 

愛の構成要素を「慈悲喜捨」とします

 

それぞれ

  慈は 

  shareに近い感じ の心

 

  悲は 

  悲しい人を助けたい、苦しんでいる人を助けたい と言った哀れみ・憐憫 の心

 

  喜は 

  共に喜ぶ、分かち合う 心

 

  捨は 

  いつも冷静で平等な心

基本的に、これらの心のうち、自分にあるものを選び、それぞれの得意分野を伸ばす様に慈悲の瞑想に取り組んで、「心の中にさらに植えつけていって、成長を目指す」ということになります

そして瞑想中は全ての身体的な動きと、心の働きをラベリングする」という事をします

 

また、ここでの教えで、是非知っておきたい事として

「全ての生命は同じもの」「自と他は同じものである」

としている事ですね

 

これはやはり

「全ての生命が同じ意識エネルギー体から成っている」

という事を教えています

   

 

まとめ・感想

これで、大まかに紹介できたのでは!?と思います

長かったでしょうけど、一つ一つ理解していくと、奥深さや新しく知る言葉の意味の持つ力に驚かされます

そして、もしもあなたが、この瞑想法を実践して、何か一つでも、心にある不必要なものが外れた時なんかは、感動したのか、愛に包まれたのか、何故かスイッチがオンになって、涙が溢れ出す。そんな事もあるかもしれません

という事で

実践するチャンスがあるなら是非やってみて欲しいな~と思います!

一応横にリンク貼っておきますね!日本ヴィパッサナー協会

 

ということで

今回は「仏教の教え」についてだったのですが、この教えは違う言い方をすれば、

「個人の意識を高くするための方法とその教え」である

そういった見方ができると思います

 

なので、興味ある方は是非、瞑想センターに足を運んでみて、そこで、方法を学び、さらに氣付きを得ては、意識を進化させて、意を思いのままに操る意識体となって行って欲しいなあ!と思います

ッチュー感じで!

 

最後まで読んでいただいて

ありがとうございます!

  

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