今回は
「カルマ(業)の意味とは!?行いの法則を意識体レベルで観てみると?」
という事で
まずはカルマの意味を知り、その「行いの法則」の中身を、私たちの本質である意識体レベルで知っていく事で生活態度改善に役立てて行きたいと思います
そして、突然ですが、当ブログは訪れた方にとっては、絶対!有益な情報発信でありたい!ので、カルマについて検索する人の心の奥の悩みになるのか!?(笑)解りませんが、私自身が持つ悩みがそうなので(笑)、今世の実生活に役立てられるように、悪想念のループ外しの方法も触れて行きたい!と思います
カルマ(業)の意味とは!?
・まず初めに、「カルマとは行いのこと」になります
最近ではカルマという言葉も一般化した感じですし、意味を知ってる方も増えてきたと思います
今回紹介したいのは、
カルマも現生的なものと、過去生から引き継ぐものが大別して二つ在るという事なので、二つについて意識体のレベルから見て行きましょう
現生的なカルマについて
・カルマとは「行いのこと」を指しており、その結果が付いて回るというニュアンスが、最近のカルマという言葉に含まれているのは、あなたも感じている通りだと思います
なので、最近の使われ方に含まれる意味としては、因果応報的な内容も含まれていると捉えても良いと思います
例
・悪口を言えば 悪口を言われる
・感謝をすれば 感謝される
・叩けば 叩かれる
・愛すれば 愛される
これは、人生や運命的な例では
・誰とは言いませんが、詐欺行為や国民の信頼を大きく欺いた有名人は、2度とテレビに出られず、社会的にも受け入れてもらえなくなってしまう
・表面的には聖人扱いなマザーテレサも、実は人身売買に加担していて犯罪者として捕まっていた
こんな感じで、これらは現生的なカルマの法則で、今回の「生」のうちに返ってくる事例になります
次にもう一つの
輪廻的なカルマについて
まず、これについても「自己完結なカルマ」と「他人との関わりによるカルマ」が大別して2つあると思います
この輪廻的なカルマについては、正直に、体験が強い記憶で定着していないので、深くは理解しておりません(笑)
ですが理解して行きたいので、例を出して理解に結びつけて行きたいと思います
まずは
「他人との関わりによるカルマ」の例
とか
・自分が多くの人の楽しみに貢献したから、今回の生は楽しい事象ばかりがおきるようになっている
とか
・前世の功徳が高かったから、今世は良いステータスである
と言った感じで、こう言った事があると言う話は聞きます
これは、確実に同じ事象が起きているのか、エネルギー体の出す波動が持つ引き寄せ的な力の働きなのか!?は解りませんが、こう言った事はあながち無いとは言いきれないと考えられます
悟りの言葉で、私たちは「同じ生を経験している」と言うのがあるので、相手のあるカルマについては、いくつかの意味において、「他人に経験させた想いを自分も味わう」という事があるのが解ります
では次に
「自己完結なカルマ」について
良く言われる過去生から引き継がれるカルマについては、自分を意識エネルギー体として考えた時、個人的な情報エネルギーの癖が波動の癖として現れていると考えられるので、その波動に引き寄せられて現実に影響しているものがある。と言うのは割と納得できると思います
シンプルに言うと
過去生で築かれた波動の癖が現実に投影されカルマとなって現れている
その可能性は高いと考えられます
と言った感じで、その情報エネルギーの強烈な染み込みがより直接因果を産む事もあるかもしれません
過去の記憶、強い興味のあったもの、深く取り組んだ事などは、情報エネルギーとして、各意識エネルギー体の中に残っているものなので、超強い電氣ショックが無い限りは、その情報エネルギーはリセットできません
そしてこの、引き続き芯にある様な情報エネルギーは、ある種のきっかけで、特殊な能力を個人にもたらしたりもします
この事を示す世界に散らばっている例として
とか
また、似た様な感じで
と言った感じの例があります
これらの、意識エネルギー体の奥深くにある情報エネルギーが顕在化された例からも、意識エネルギー体は過去の情報エネルギーを引き継いでいると言う事が解ります
そしてちょっと話が逸れると言うか、なんと言うか、、、
氣づきたい事として、特に3番目の例についてなのですが
仏陀の教えるカルマについて
カルマの意味は「行い」でしたが、このカルマという言葉は、中国へ行った時に「業」という字になりました
とされていますが
仏教では
のことになります
という事で
次に
仏陀先生の言うところには
まず行いには
・体で行うこと 身業
・口で行うこと 口業
・心で行うこと 意業
3種あります
ここで考えてたいのですが
という事が多いと思います
なので、まだ比較的氣づきやすい行いに当たり、氣にかけて直しやすく、また氣にかけて善行を積みやすい領域になると思います
でも
最後の
と言うか、なんと言うか、、(笑)
この
よね!?
心の中で思った事なんかは、ちょっと強く今の事を覚えておきたいな!とか意識しない限り、すぐに忘れて流れ去ります
そもそも
その考え自体に意識が支配されて心の中に思いが現れている
ので、さらにもう一つの心で氣づかなくてわイケナイ!と言う領域になったりしますよね
なので
この「意業」について
心に思ったことですら、それが返ってくるという事なので、常に心が美しい状態でないと、それなりの目に遭ってしまう
ということになりますよね!?梵人も恐いです!(笑)
と言う事なので
対人関係で
いくらうわべで調子の良いことを言って、表面上は良い感じに接していても、心の中で実は悪い想念を抱いている人には、その報いが必ず生じるという事になります
そしてその
カルマの返ってくる力は100頭の巨象の力に勝る
という事なので、心の中も綺麗でないと、色々とカルマ返しに合うというか、なんだかうまくいかない目にあうなあ!という事になってます
では、次に
悪想念を抱かないためにはどうすれば良いのか!?
をいくつか考えてみたいと思いますね
これこそが、カルマ返しに遭わないための特効薬だと思うので、カルマについて知るより、こっちの方が大事かもしれませんよね!?
運命を自分が決めてきた説を信じる
まず一つ目
対人関係で嫌な思いをした時、例えば、腹立たしい思いをした時とか、恨めしい思いをした時、これらは、嫌な思いには違いないのですが
それすらも
この事象は「意識体」として、「魂」として
自分が生まれる前に
「経験するべく、学び、成長すべく用意したシナリオなのである」
(ただですね。これね、、梵人マン的には人ができていないので、悪い想念に捕まったら爆発しちゃったりするんですけど、そんな時にコレを思い出せない事多いんですよね。てか、普通に爆発しちゃいます!なので、この考えを2、3割組み込んでおいて、、)
次に
「悪想念に捕まったら負けゲーム」にする
悪想念を抱いたら、それが放射され、それが自分に必ず返ってきてしまう
自分はですが(笑)、これだけは理解できているので、どうにかこの考えを瞬間的に手繰り寄せたいところになります
これは
怒ったら「負け!」小さい事に囚われたら「負け!」
ゲームにしてしまうと言う方法として捉えても良いと思います
基本的には
「今」「氣づき」「強引にポジ化」
という流れで、なんとか悪想念を抱かない!と決意する事も必要になりますね
でも!ですよ
これでも「できない」「怒ってしまう」という事もあるかと思います
なので
もう、割り切ってちょっとバカになって、というか、自分の持ってる大き目のネジを外してみる。と言うのも良いかもしれません!(笑)
大抵のケースでは、
「うん!? 来た!? この人は持ち込んでくるな!」
と解るわけじゃないですか!?
その時に
「ああ、嫌なことする役の人だ!」
「ああ、やっぱ嫌なこと言った」
「嫌なことをした」
と、どこか客観的に捉えながら、
そして
「私は気づいている」「私の心の流れに気づいている」
ムカつく!けど
「私が嫌な思いをさせた人の氣持ちを、私に伝えてくれるために、わざわざ私の人生に登場してくれて、、」
と氣づいて、感謝して溶かす
そう言うゲームである
「人生は悪想念抱いたら負け!ゲームである」
「カルマゲームである」とする
で、
ここで氣づけないで、感情のまま流されて怒りをぶつけたり、嫌な思いをひきずったら負けのゲーム。
登場人物はみんなあなたが魂時代に書いたシナリオに沿って
あなたの魂向上の為に友情出演してくれています
(これも、大抵の場合できないので、2〜3割程度、心構えとして持っていけたらと思います)
ここでこの事を歌っているのでは!?という事で
FM放送ばりに名曲を一つご紹介したいと思います
で、戻りまして
悪想念の生じる際と、その後の悪想念の蓄積に関して、、
で! やっぱ! アレですね!?(笑)
こう言う仕組みだって理解するのは簡単だし、そうすれば良いって言うのは分かるけれども、いざ!悪感情に引っ張られる時は、自分を客観視してられないくらい心を奪われますよね!?
「梵人マンも同じです!(笑)この様な発信していても同じなのです!(笑)」
ですが、最近、実践中のこの方法は結構、自分には???効果があったので、今までの方法でダメな人に向けて、次をまた紹介したいと思います
究極「ありがとう!」の法
これはもう本当にスゴイです!
何が起きても!
「ありがとう!」しか云わない!
そう決めて、そうする
これは本当に究極としか言いようがないですね
もう何が起きても、どんな悪い想念を抱いても
その瞬間すら
「ありがとう!」しか云わない!
そう決めて
そうしているので
「受け取り」が強制的に変わります
結果
「現実が変わります」
これでダメなら、現在のところ、他の方法はどうでしょうか、、、。
もう無いかも・・・(チラっ!?☆)
他にも普段からやっておくと良い事という事で
日常的に徳を積む事をゲーム感覚にする
こう言った行為も、想念体としての人の存在を変えて行きます
これは実生活において私たちが氣にかけてできる事で
「先に徳を積む」「善行を積む」「陰徳を心がける」こう言った事になります
この行為は
仏教ではお布施と言います。また、お布施=梵語でダーナと言い、布施の種類を以下に紹介しておきます
眼施
好ましい眼差しで見る
和顔施(和顔悦色施)
笑顔を見せること
言辞施
粗暴でない、柔らかい言葉遣いをすること
身施
立って迎えて礼拝する。身体奉仕
心施
和と善の心で、深い供養を行うこと。相手に共振できる柔らかな心
床座施
座る場所を譲ること
房舍施
家屋の中で自由に、行・来・座・臥を得させること。宿を提供すること
これらは実際にお金も使いませんし、実生活レベルでできるなのでは!?と思います
で
実際に何かを与えたりするお布施という行為は
お金や物の多さよりも
「心」から、という「氣持ちを乗せる必要」があります
こうする事で
その人自身が豊かになって行きます
あと、注意点として
対象になる人をちゃんと選ばなければならないっていうのもあります
1、尊敬できる徳のある人
2、恩のある人
3、氣の毒な人
1から順に、敬田、恩田、悲田、と言います
これらを意識して、その田にそれぞれ稲の苗を植える様に徳を積んで、目の前に起きる事象をより良くしていきたいところになります
この徳積みに関して
特に効果のあるものとして
誰も見てなかろうが、何だろうが
「誰かの役に立つと信じて何か行う」
「陰徳」を積むのが最高に効果があるとされます
この
「良い行い」は
「良い想念」から行われているので
結局は
「自分自身の中に築かれている」
「良いエネルギーを出しては、良い波動の中に自分を運んでいる」
という事になっています
まとめ・感想
今回は
「カルマ(業)の意味とは!?行いの法則を意識体レベルで観てみると?」
という事でしたが、どうでしたか!?
私なんかはもう「痛い」「痛い!」(笑)
もともと、素行悪くウンコちゃんの様な存在でしたから(笑)
(と、今はそうでは無いかの様な口ぶりですが、、(笑))
カルマという言葉だけでも、若い時に知っておきたかった・・・・。。
意味なんかもできるだけ若い時に知っておきたかった・・・・。。
です。ハイ!
ただ、もう迷惑をかけた人も数知れずだし、流れた時もかえってはきませんので、本当に前向いて、良くなっていくしかないんですよね
「できるだけの事をして意識体に戻りましょう!」
って事で、また、その結果、誰かに迷惑もかけるでしょうけども(笑)
それすらも突っ切って、馬鹿ポジ!で行きましょう!
ッチュー事で
今回も
最後まで読んでいただき
ありがとうございます
コメント